クミコ(くみこ)
クミコのプロフィール
- 誕生日
- 1954年9月26日
- 星座
- てんびん座
- 出身地
- 茨城県
主な出演最新作
クミコのSNS
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一日一日みんな違う。
花粉を含んだ強風が襲う。自転車がふうと傾く。父親に会いに行くのは五日ぶり。前回は、私の名前をマサオと言った。それ、死ん…
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一人っ子の願い。
私はもともと、とても臆病でネガティヴな人間だ。子供の頃から、布団をかぶっては、辛く悲しい物語を作って、その哀しい主人公…
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恋人たちのベンチ。
椅子に座る、これがどれほど奥深いことか、腰や背中や脚がそれぞれに弱くなってくる歳になるとよくわかる。この頃は街角でも、…
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お店ライブはスリリングです。
新宿のシャンソニエ「シャンパーニュ」で、今年もライブ。この三月がこのお店の開店記念月で、ちょうど開店50周年の一昨年か…
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「舟唄」
八代亜紀さんと、一回だけご一緒した番組があって。たまたま昨日、それを見た。名曲「舟唄」。これをデュエットさせていただい…
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みんな同じだよと彼は言った。
朝からまた大谷さんの特集。これからまた、これが続くのだと思うと気が滅入る。大谷さんがどうのこうのじゃないのだ、こんなに…
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花粉を含んだ強風が襲う。自転車がふうと傾く。父親に会いに行くのは五日ぶり。前回は、私の名前をマサオと言った。それ、死んだおじちゃんの名前だよ。多くの兄弟姉妹、もちろんおじいちゃんもおばあちゃんも。みんな天国にいる。でも、時々「おばあちゃんは元気か」と聞く。おばあちゃんて誰のことだ。父さんのおばあちゃんは、とっくに死んじゃったよ。母さんはね、と母親のことを話すのだが、だんだん混乱してくる。母さんはママのことだよと言うが、こちらも混乱してくる。母さんは確かにおばあちゃんである。昨日は、自分の部屋がどこにあるかで混乱した。父親と部屋にいると、どこでご飯食べるのか、一人だとわからなくなると続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
私はもともと、とても臆病でネガティヴな人間だ。子供の頃から、布団をかぶっては、辛く悲しい物語を作って、その哀しい主人公になりきり泣いていた。まだまだ幼く、両親に挟まれて寝ていた頃からそうだった。どうもそうした性質というのは、ずっと続くものらしく、大人になっても、地震で死ぬのだろうとか、道で事故に巻き込まれ頓死するのだろうとか、ロクなことを考えない。飛行機などに乗る時も、絶対記念写真を撮らない。事故で亡くなった人の遺品で、こうした写真を見ては、不吉の刷り込みになってしまったからだ。地震に関しては、若い頃に地震恐怖ブームのようなものがあって、関東大震災クラスのものがすぐにでもやって来るという、それが週刊誌でもテレビでも、頻繁に取り上げられていた。(あれはノストラダムス大予言と関係していたんだろうか)その頃には、もう毎日が終末感いっぱいで、その頃住ん続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
椅子に座る、これがどれほど奥深いことか、腰や背中や脚がそれぞれに弱くなってくる歳になるとよくわかる。この頃は街角でも、小洒落た、いかにもデザイナーズぽいベンチが置いてあったりする。今朝SNSで見た写真には、木のアーチ型で、若い人でもどう座っていいかわからない駅前のベンチが。老人がちょこっと一休みなどしようものならひっくり返るか、まず脚とお尻の位置さえ定まらなそうなシロモノ。数年前に、夜、バス停のベンチに座っていて邪魔だと殺されてしまったホームレス女性の事件など、そのベンチのあまりの小ささに、余計悲しみが募った。そのバス停を、先月通りかかったのだけど、それはベンチと言っていいのかさえわからない、文字通りただの「腰掛け」だった。しかも間に仕切りがある。私と大して歳も違わない、役者を目指し上京してきた被害者の女性のことを思い、そのベンチとも呼べない椅子に胸がつまった。日比谷公園のベンチの続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
新宿のシャンソニエ「シャンパーニュ」で、今年もライブ。この三月がこのお店の開店記念月で、ちょうど開店50周年の一昨年からお招きいただいている。その頃はコロナの時期でもあり、人数制限ありの2回公演。それがやっと制限なしになり、一杯のお客さまにお越しいただいた。昼は昼の、夜は夜の、それぞれにお客さまとの時間を共有する。両方来てくださるかたもいらっしゃるので、曲も少し変える。錆びつきはじめたアタマにカツを入れつつ、歌う。新宿といっても駅からそう近いわけでもない。以前には通り向かいに厚生年金ホールがあった所、良き時代の熱気を思い出す場所だ。そこへ、わざわざ足をお運びいただく、そのことにもう感謝でいっぱいになる。そして、この頃よく思うのは、お客さまと私は同じなんだなあということ。歌う側と聴く側ではあるけれど、みんな惑いながら懸命に生きる道を歩いている。見える風景は続きをみる
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八代亜紀さんと、一回だけご一緒した番組があって。たまたま昨日、それを見た。名曲「舟唄」。これをデュエットさせていただいているのだが、もはやデュエットというのはおこがましい。隣で、私は泣いてしまっている。世の中には、時代に選ばれた歌が存在する。その歌を聴くと、その時代の空気や匂いや、人々の生活までよみがえる。街の路地まで見えてくる。八代さんの声は、この声以外誰も「舟唄」を歌えないという声だ。声と時代が、びっちゃりとくっついていて、はがしようがない。だから自分でも驚いたが続きをみる
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朝からまた大谷さんの特集。これからまた、これが続くのだと思うと気が滅入る。大谷さんがどうのこうのじゃないのだ、こんなに一人の野球選手をフューチャーしなくてもいいだろうと思うのだ。(いや誰より大谷さんがそう思ってるだろう)大谷さんが、いくら大リーグの希望の星であるかのように取り上げていても、実際その球場の映像を見るとガラガラだったりする、そのことの落差に現実を思い知る。アカデミー賞で、アジア俳優を無視したかのような表彰式が話題になった。そこにいるのにいない、透明人間になっているアジア人。これは、今に始まったことではない。外国に行ったことのある、住んだことのある人なら誰でも経験すること。(この外国はあくまで欧米だが、今でさえこれだもの、留学中に精神を病んだ漱石先生の時代など、さぞやトンデモなかったろう)このアジア蔑視といってもいい現実に打ちのめされたのが、若い頃に読んだ「殺される側の論理」という本だった。本多勝一という、その頃人気のあったジャーナリストの書いた本で、ベトナム戦争や、あるいは原爆のことなど、アメリカ人のアジア人に対する根本的無関心、同じニンゲンと思っていないからなしえた残虐行為と続きをみる
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