山科薫(やましなかおる)
山科薫のSNS
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江戸時代の医療や健康管理の杜撰さが明治時代にもたらした悲惨さ
江戸時代までの日本はとてもおおらかで明るく、それが本来の日本人の持ち味だったのに、明治に入っておかしくなってしまった。…
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アリバイを確実にするために居酒屋というのは基本に忠実といえるでしょう!
那須での遺体発見事件についての先日からの続きですが、出頭した25歳の平山容疑者は、やはり賢明だったでしょう。 そのまま…
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天神様は菅原道真が祀られる前まで学問と関係のない神様が祀られる神社でした。
天神様を祀る神社は、全国に計数千あるそうです。いずれも菅原道真にちなんだ学問の神様が祀られています。総本山は、京都の北…
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読書疲れ?
長年やっていた副業のガードマンを昨年辞め、勤続疲労から脱出し、さらに大幅節酒というかソバーキュリアス化にも成功している…
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健康オタクの徳川家康が実践していた健康習慣及び健康作業
徳川家康は、73歳まで生きました。当時としては長生きでしたが、もっと長く生きた人は古代からそこそこにいたようです。ただ…
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那須での2遺体発見事件について
那須で2遺体が発見された事件、1人は上野で飲食店をいくつも経営している実業家の宝島龍太郎さんでもう1人はその奥さんだろ…
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江戸時代までの日本はとてもおおらかで明るく、それが本来
の日本人の持ち味だったのに、明治に入っておかしくなって
しまった。というのは、ずっと私も言って来たことです。
ただし中には、それによる負の遺産もあります。おおらかな
のは良いことですが、衛生思想の欠如と医療の不備は、やは
りいけなかったでしょう。
1858(安政5)年にアメリカの軍艦ミシシッピー号がコ
レラ菌を運んで来たと言われ、それに対して免疫のない日本
人に対して猛威を振るったそうです。毎年のように伝染病が
流行して数千人が死んでいたということです。
一度は収まったコレラの流行ですが、安政から20年ほどが過
ぎた1879(明治12)年6月に再び流行してしまいます。
この時は、全国で10万5000人が死亡したそうです。
その後の1883(明治16)年と1885(明治18)年
には今度は赤痢が流行して、死者が1万人以上。そしてその
翌年の1886(明治19)年には再びコレラと、さらには
天然痘も発生して、やはり大量の死者が出たということです。
このように、明治時代の前半は、伝染病の大流行に悩まされ
た時代だったといえます。これらのことも、江戸時代が否定
されて日本人からおおらかさが消える原因の1つになったの
ではないかとも、思われるのです。
那須での遺体発見事件についての先日からの続きですが、出
頭した25歳の平山容疑者は、やはり賢明だったでしょう。
そのままじっとしていたら殺害犯グループの主要人物らに消
されかねないし、そうでなかったら平山容疑者自身が関わっ
ていないもっと大きな罪を着せられる可能性もあります。
殺害が行われることを薄々察していながらクルマを貸したよ
うな供述もしているそうですが、それは恐くて「止めた方が
良いですよ」と言えなかったのでしょう。実際、言ってたら
危なかったと思います。
そして殺害が実行されていた夜中の2時半から3時半、居酒
屋にいたというのも、賢明というか基本に忠実なアリバイの
成立のさせ方ですね。
部屋にこもっていたら、アリバイ証明に手間がかかります。
それよりも、1時間ほど居酒屋で飲んでいれば、誰かしらの
目に留まっているでしょう。注文もしていれば、店員が覚え
ている可能性が高いです。カウンターに座って店員に2言3
言雑談をすれば、よけいに覚えています。
それにしても犯人グループは、半グレかプロの犯罪集団?た
だ被害者は強引な経営で他店に対する妨害行為もしていて色
々トラブルも抱えていたような報道のされ方ですからね。わ
かりやすい動機による殺人の可能性も高いと思います。
天神様を祀る神社は、全国に計数千あるそうです。いずれも
菅原道真にちなんだ学問の神様が祀られています。総本山は、
京都の北野天満宮になります。
ただこの天神様は、菅原道真以前からありました。そして学
問には関係のない、天の神を祀る神社だったそうです。天の
神というのは、「雷様」のことです。
菅原道真は濡れ衣を着せられ、大宰府に左遷された挙句、9
03(延喜3)年に失意のまま死去しています。
その直後から京都で落雷や疫病が続いたことで人々は、菅原
道真の怨霊を口々に叫びました。実際に道真を嵌めた者たち
はこの落雷で死んでいますし、道真の無実の公算も濃厚にな
って来たため、彼の怨霊を鎮める必要が出て来たのです。
そのためにまずは、北野神社に天満宮を創建して菅原道真の
冥福を祈りました。
なので天神様は本来、雷様を祀る神社で、学問と関係ありま
せん。ただし道真の怨念と怨霊が「落雷」という形で現れた
ため、雷様の神社である天神様に道真を祀り、彼が稀に見る
秀才だったため、天神様がいつしか「学問の神様」というこ
とになって行ったのでした。
長年やっていた副業のガードマンを昨年辞め、勤続疲労から
脱出し、さらに大幅節酒というかソバーキュリアス化にも成
功しているため、体調が良い上に時間も自分でつくれるので、
読書にのめり込みました。
視力が右1.2で左が1.5。そして老眼も全くないため、
すぐに活字の入れるのです。
今年に入って今のところ、小説だけで41冊を読み終えてしま
いました。他に雑誌とかも読んでいるので、凄まじい量です。
まあ読む人はもっと読むのかもしれませんが。
警察小説がかなりIT化した内容に、なっていますね。柚木
裕子さんの『朽ちないサクラ』と『月下のサクラ』は、特に
お薦めです。
ただし、やはり目は疲れています。他のくつろぎの方法も、
色々開発して行こうと思います。
徳川家康は、73歳まで生きました。当時としては長生きで
したが、もっと長く生きた人は古代からそこそこにいたよう
です。ただ家康の場合に特筆すべきは、その健康年齢の長さ
です。他界するまで、ずっと健康を維持していたようです。
死因は後世の検証によりますと胃がんだったと思われるので
すが、たた苦しんだり寝込んだりがなかったため、食当たり
による急死のようにしばらく伝えられていたのです。
家康が73歳まで当時としては驚くほどの健康を維持できた
のは、様々な工夫と研究がありました。
食生活の栄養面についても気を配り、旬の食材を積極的に食
べていたようです。適度な飲酒も、健康のためにしていたと
いうことです。
運動も、欠かさずやっていたそうです。鷹狩り、剣術、弓術、
水泳、乗馬などを続けていました。また、睡眠の大事さも熟
知して、夜はぐっすり寝ていたということです。
それだけならよくいる健康マニアですが、家康の場合それに
留まりません。駿府城のある現在の静岡県に、薬の畑を作っ
たというのです。
しかもその薬草畑には、1000種類以上の薬草を栽培し、
自分で調合までしていたというのですから、医者や薬剤師も
顔負けといったところですね。というか家康は、健康のプロ
だったのです。
那須で2遺体が発見された事件、1人は上野で飲食店をいく
つも経営している実業家の宝島龍太郎さんでもう1人はその
奥さんだろうということです。
そして出頭した25歳の男が、逮捕されたようですね。死体
遺棄容疑ですが、殺人には関わっておらずクルマを貸した
だけという供述だそうです。
まあ単独で出来る犯罪ではないですし、クルマを複数使う
など手の込んだやり方をしているくらいなので、この男の
言うことも本当なのかもしれません。
本筋である殺人に関して関りが薄いのであれば、早めに自
首というか申し出をした方が得だし、もしそのまま悶々と
していると自分にも危険が及ぶかもしれないとも思ったの
かもしれません。
どうも近くの別な店に対して妨害をしたり、色々強引な手
段を使って経営をしていて、トラブルが数多かったような
ので、動機を持った人は少なくないようです。
それだけに今後この事件の中味は、広がりを見せていくか
と思えます。それにしても、御徒町から上野に向かうまで
の飲食街に、被害者が経営する店が集中していたそう。コ
ロナ禍で多くの店がたたまれ、そこに入り込んでいたとい
うことです。
私もこの界隈では、よく飲んだ記憶があります。とても安
くて気軽に、しかも早い時間から飲める場所でした。懐か
しいですが、しばらく行っていません。私が通った店の何
軒かは、なくなっているのでしょう。そしてその跡に入り
込んだ店の経営者がトラブルの果てに殺害される。寂しい
限りです。