末原拓馬のSNS

  • 2024/02/21から3月8日くらいまでのいろいろ

    夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔…

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  • 2月1日から2月21日までに書きためてしまった文章たち。

    またやってしまった。前回の投稿をして「ここからは頻繁にブログを」と思い日々の文章を書き始めたのだが、投稿せぬままに溜ま…

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  • 気分転換文

    突然ブログなんて書いたらなんだよ、と思われるかもと言う心配もあるのだけれど、実に、本当、何一つ大した意図はない。予定が…

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  • 2023/10/06くらいからのいろいらな書き溜め

    10月6日ヒートテック、トレーナー、コート、という格好で出掛けている。寒いのは苦手だ。今が、秋なのだっけ?梨とか栗とか…

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  • 朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』

    朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その…

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  • 『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。

    おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧にな…

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  • 2023/07/01あたりの今更な日記

    海外から帰ってきた。海外にいても思ったより日本の世界は自分の中に続いていたし、日本に戻ってきても想像以上に海外は自分の…

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  • 2023/05/14からのいろいろ

    5月29日今日から3週間日本を離れる。荷造りが壮絶に辛かった。猫は場所に安息を求める生き物だから、移動がストレスになり…

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  • 四角が三つに縦棒三つ、とか、そういうどうでもいい文章

    舞台演出をすべく品川通いである。品川・・・あまり馴染みがない。 いや、「馴染みがない」、と冷たく言い放つよりは馴染みが…

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  • 2023/04/27

    4月27日あたり稽古の日々だ。キャッテリアという、ネコたちの世界のホストクラブの物語だ。キャスト、スタッフともに知り合…

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  • 2023/03/23から散らかし文

    3月23日好きな人の誕生日だったのでざわつく。別にざわつくことでもないのだけど、あー、会う約束くらいしとけばよかったー…

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  • ごちゃごちゃ

    3月16日世界が遠のいていく感じがすごい。そう思っていたのだが、最近じゃ世界が遠のいていく感じさえも遠のき出して、「感…

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  • 2023/02/25からのもろもろ

    2月25日嘘だろ、というところだが、2ヶ月にわたる劇場通いも残すところあと2日、というところにして迷子、というかバスを…

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  • いろいろ

    2月14日アイシャドウを購入。化粧をするようになったのは舞台を始めてからに違いない。ピンク色のポーチを化粧入れとして使…

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  • さくっと

    なんか、特定の一つのお菓子をテーマに物語を描いて上演してみたい気持ちがある。ボンタン飴、とか、チョコ柿ピー、とか、自分…

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2024/02/21から3月8日くらいまでのいろいろ
2024/02/21 14:31アメブロ

夜中に近くの公園に巨大絵を描いた。ナスカの地上絵は果たしてどう描かれたのか!?というミステリに心をざわつかせたことが昔あったけどらいまならわかる。締切に追い詰められた人が夢遊病者のように散歩に出掛けて描いたんだと思う。あくまで仮説だけどね。もっと大きいの描きたい。あと、真上から見たい。見れない。超じいちゃん子だった。 じいちゃんが亡くなったとき、「冷凍庫にある、じいちゃんの干し柿はいつ食べればいいんだろう」と心配になった。毎年、作って送ってくれてたのだ。で、1年かけてゆっくり食べてた。でも、今あるうちで最後なのだ。その、最後のやつを、どう食べ終わればいい?最後のひとつを、どんな気分で食べるのか? 結局、いつどう食べたかは覚えてない。 。。。 うちのパパはなんだかんだ、発泡酒、第3のビールを毎日ごくごく飲んでいた。安いからだ。たまに現場から「ちゃんとしたビール」をもらって帰って、パパにあげると喜んだ。パパはなんなら常夏の国で生活したいと思うひとで、だからかドライとかオリオンビールが好きなタイプだった。ギター1本で家族を養っていたパパに、せめて毎日上等なビールを飲ませてあげたかったなといまさら思ったりはする。2人でライブをやった帰り道、車でコンビニに寄ってビールを買うのはお気に入りの習慣だった。そのときは、上等なのを飲んだ。でも、音楽室でふたりでドラフトワンなんかで乾杯した思い出も、いい感じの思い出だ。鹿児島出身のせいか、途中からは焼酎になる。 そんなパパが天国にスタジオを移したとき、ビール好きだったパパのためにたくさんのビールが贈られた。パパは自分の本なんかの中でもビール好きを書いていたから、ビーラーであるのは有名なことだった。で、パパへのプレゼントであるビールとはいえ、パパは死んでるわけで、飲むのは遺族の我々ということになる。で、このビール、冷やしたまま、まだ飲めてない。かれこれ3年である。なのに、飲めてないのである。こうなってくると、もう、神聖なビールという気がして、いつ飲む?という感じになる。 この前、朗読リュズタンの衣装デザインを手掛けた時、母にも縫製などを相当手伝ってもらった。この千穐楽の後だったかは、確かふたりで一本飲んだ。なんだか、然るべきタイミングという気がしたのだ。 さあ、次はいつか。そろそろ、ビールの賞味期限も気になり出す。 だがしかし、これにも最後の一本という熾烈な瞬間がある。 「パパ関連のビールをいつ飲もうかと思ってる日々」のを締めくくる瞬間を、自分は決められるのか。そのときの気持ちに耐えられるのか。 そんなどうでもいいことに悩む。 。。。。。 仕事に集中しすぎて、いきなり、日本語が喋れなくなる。「してきてくれた」か「してくれてきた」がわからなくなって瞬時に混乱して日常で言葉を噛む、みたいなことが多い。疲れているのだと思う。締め切りたちが迫りくる。三國志と、おぼんろ本公演と、後一本。描かないといけない絵もたくさんあるし、決断しないといけないこともたくさんある。劇団員と会った。基本、会議は好きじゃないので、この日もそういう類ではなく、なんか、会って、公演に際しての自分の気持ちを共有、みたいなところ。さひがしさんの誕生日プレゼントを渡そうと思って洋服に絵を描こうとしたのだけど、めぐみさんのプレゼントを渡していなかった(9月なので、この時期に会う予定がなかった)ことを思い出し、2人分用意することに。迫り来る締切の恐怖をほんの少しだけしまいこみ、作業。やっぱり、好きな人のプレゼントを創るのが一番幸せな時間な気がする。おぼんろ。タイトルを発表する都合で、この日までに決めてください。という脅しを受けた。数ヶ月前にプロットもタイトルも提出してはいたけれど、直前で悩む。数ヶ月前に自分とは気持ちが違ったりする物だ。結局、土壇場でそれまでと8割くらい内容を変えたタイトルを出した。 今回は公演の概要に関しては制作と製作委員会にほとんど全て任せてしまった。お金や運営のことは正直、本来まったく興味がないもので、繰り返される話し合いはそれなりに苦痛だった。なので、素直に、今回はただただ物語を描いて演出して出演することに集中させてもらおうかなとおもう。とは言っても主宰ではあるから責任は持つけれど。悩んだところで結局は大人の事情を気にしないといけない物事と向き合うと、どうやら自分はジャンプ力が落ちる。跳んで翔ぶことが、自分にだけできることなのだとしたら、そっちに専念したい。 。。。。目がかゆい。でも、ものもらいのような、結膜炎?のような症状がすぐに現れるようになってしまった昨今、触っちゃだめだ!と自分を制している。花粉症なんだろうか? まぶたとうまくいってない日々。目は口ほどにものを言ってしまうんだから、気をつけないとだ。余計なことを言わないように、目を口止めしないと。 。。。 前に、大阪土産のみたらし団子みたいなのを稽古場に差し入れしたら評判が良かった。実際、すごくおいしかった。鹿児島にはじゃんぼ餅というのがある。みたらしってすごいよな。僕ら年間、みたらしを口にする機会が何回くらいあるのだろう。生クリームとかとは合わないんだろう続きをみる

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2月1日から2月21日までに書きためてしまった文章たち。
2024/02/01 21:49アメブロ

またやってしまった。前回の投稿をして「ここからは頻繁にブログを」と思い日々の文章を書き始めたのだが、投稿せぬままに溜まってしまった。ヴィンテージになればなるほど気安く手を出しにくくなるのはワインも文章もそうだ。でも、かと言って廃棄もなんだ、と、リアルタイムで公開すれば「フレッシュだね」とちやほやされるはずだった文章たちを、「今更!?」と迫害が待っていそうな場に投げる。かわいそう。生まれてきたからには「友達100人できるかな」と言うモチベーションはなんだかんだあるのだと思う。実際問題、何人いるんだろう?友達。現代人アーーーチストとしては「僕には友達なんかいない」というニヒルな雰囲気を醸し出したいところだけれど、残念なことに夥しい数いる気がする。友達であることを示す免状や証明書がある話ではないけれど、一方的にであれ、「このひとは友達」とすぐに思ってしまうところが自分にはある。小さい頃からそうな気がする。友達だと思っている仕事の相手に馴れ馴れしくして「友達かよ」と言われてガーンとなったこともある。 。。。。初めて出会うひとのプロフィールはインターネットで調べすぎないようにしてる。会話しながら知っていくのが幸せだから。今回は座組が大きくて、稽古も、有能な演出助手により無駄のない分散稽古が組まれてた。さらには、感染症予防もしっかりしていて、マスク着用稽古!飲み会禁止!であった。とても理にかなった素晴らしい現場だったけれど、共演者との交流をもっとしたかったと、座組が解散する直前のいま、思ってはいたりする。 これは昨今おぼんろであっても決して変わらぬ事実で、現場中、仲間たちとぐだぐだ語らう時間というのはほとんどない。学生時代のように、やたらとお酒を飲んだりする非効率極まりない演劇活動が懐かしく感じもするけれど、そんなことしてる場合じゃないのも事実だ。創りあげたいもののクオリティが上がってしまったが故に、暇さえあれば準備に費やしたくなってしまった。 。。。2月1日劇場入り。草月ホールの場所がうろ覚えで間違ってカナダ大使館に入って「楽屋口どこですか?」と聞いて警備の人たちに警戒された。 結構ちゃんと、警棒のようなものチラチラ見せつけられ怖いくらいに警戒されて、「あー、今回の共演者のみんな、そんなに人気なのか」などと思ってた。劇場入りの翌日から本番という強行気味なスケジュールだが、場当たりが全て終わった。演出助手の青地洋とがとてもがんばってくれた。洋は、数年前にポップンマッシュルームチキン野郎という劇団にゲスト出演したときに会って以来の再会。嬉しい。どんな哀しみも、喉元過ぎさせて熱さを温もりと言い換えて大切にする僕らのたくましさに感謝する。ポップンでの思い出を、自分は一生大切にしていくと思ってる。2月4日千穐楽。伝えたいことは作品で伝えたように思うので無粋な追記は避けたいと思いつつ。参加してよかった。答えがわからないという答えがわかってしまった後の時代に生まれた僕らは、間違っているかもしれない戦いを恐れてる。考えないことの方が潔く美しいかとも思う。間違った戦いが人を傷つけるかもしれないことも知っているから。信じるものを信じたい。そして間違いたくない。そうビクビクしながらも、守るべきものを守るために命をかけていたい。そこに危険が潜む。物語という凶器を振り回す職業の自分たちにとって、目を背けてはいけない堂々巡りな問い。出会いに感謝。ひとつの共演が永遠の縁になることもある。大切にしていきたい。打ち合わせのときに、会社に呼ばれることが増えた。のだけど、こんなとき気になるのが、恥ずかしいんだけど「飲み物出るのかなあ」てことだ。極めて控えめな集中力しか所持していない自覚はあって、座って話し合うのがそれなりにちゃんと苦手で、落ち着かないからいろいろと飲んだりしてしまいがちだ。なので、コーヒーやお茶及び炭酸水を携えていたいのだけど、これらを用意してくだ続きをみる

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気分転換文
2024/01/17 23:47アメブロ

突然ブログなんて書いたらなんだよ、と思われるかもと言う心配もあるのだけれど、実に、本当、何一つ大した意図はない。予定が色々と入り乱れていて、バラエティパックな日々を過ごしているのはいいんだけど、常に締め切りに追われていると、「空き時間」がなくなってしまう。脳内が常に、「暇があるならば台本書かなくちゃ」て状態だからだ。稽古中でもあるから「自主稽古したい」と言う欲望もある。「身体づくりしたいな」てのもある。 そう、こうなってくると、プライベートめいた時間が極限までなくなってくる。なんで、その代わりというか、話し相手を求めるような塩梅で、こうやって、あれこれと書いてみる。ツイッターの方が気軽だったのはもうとうの昔で、あまりに呟くだけの言葉は呟きにくい今日この頃。それに、散らかしの海から陸へと上がってきた末原拓馬ですからね、どうでもいいものを散らばらせる力はあるけれど、物事の大事な部分を厳選して引き算して140文字に収めていくと言う才能があんまりない。 さっそく脱線するけど、「お洒落は引き算」て、本当にそう思いながら、その教えをとことんまで無視をして生きてしまってる。厚着、重ね着!今日も実に6枚重ねてる。寒がりなのだ。まあ、「お洒落は足し算」と思っていると言うよりは「お洒落は我慢」を遂行できていないとも言える。 オシャレと言えば、年末の紀伊國屋と京都でやった公演『ピアフとコクトーへのオマージュ』と言うのがあったのだけれど、そこで、スタイリスト(イブサンローラン勤務!)とヘアメイクのスタッフに「お!古着っすね!」と服装を褒められた。違うのである。中学校の頃から着ている服をまだ着ていたのである。そう伝えたら「物持ちいい!!」と更に褒められた。断固、褒めてこようとするタフさだ。優しく明るいスタッフに随分と救われた現場だった。服については、実際、新しい服なんて全然買わない代わりに、全然古い服を捨てないので、僕のタンスの中は地層よろしく、多彩な時間軸でミルフィーユされてる。僕には断捨離欲がない。何もかもが時空を超えて入り混じっている感じが、いいのだ。 さあ、どうだ、例によって、ここまで書いて何一つ大切なことが書かれていない。暇だから書かれた暇文だ。気分転換文。 ・・・・・・・・・・・ 「ロッカールームに眠る僕らの知らない戦争」と言う、2月の頭に出る舞台の稽古に通っている。 本番をやるのは草月ホール。ちょっとだけ因縁があって、もう何年も前に『純情ロマンチカ』と言う舞台の演出をしていて、その本番をやる予定だったのがこの劇場だったのだ。「だったのだ」と言うのは、この時、我々はとことんまで稽古をしていて、それはそれは素晴らしいものを作り上げたぞ!とキャストやスタッフと「おっしゃぁぁぁぁぁ!!劇場でまた会おうぜ!!!」と別れた数時間後に電話がかかってきて、そう、公演中止が知らされたのだ。その時はポカーンと、それなりの絶望に抱き竦められ、我が子を拐われたような痛みを胸に差し込まれた。でも、今になれば、いい体験だった。その現場を経て、僕は僕がどう言う人間なのかを知ることができたと言う、「鏡」のような現場だった。未来に続く仲間も得た。 あー、また脱線してしまったが、そう、稽古なう、の日々だ。これ、タイトルが長い。ついこの前、稽古場で、「ロカボって略してるからいいけど、『コインロッカーに眠る僕らの知らない戦争』て名前は覚えにくいよ」と言ってしまいみんなから総攻撃を受けた。コインロッカーじゃない。ロッカールームだ。しかもロカボじゃなくてロカ僕、と略すのが主流らしい。 ロカボってのは、体にいい感じの食べ物の総称らしい、じゃあロカボはなんの略?ってことも話題になった。みんな知ってる? ・・・・・・この公演の脚本演出家は、オフィスインベーダーのなるせゆうせい氏。歳は少し離れているので学内で絡んだことはなかったけれど、早稲田大学の先輩だ。僕は『ハンサム落語』『ディアボリック・ラヴァーズ』と言う作品に出演したことがあって、その後、なるせさんが総合演出を務める『イムリ』と言う作品の脚本・演出をやらせてもらった。それすら随分昔で、今回は久しぶりにご一緒する。 久しぶりに連絡が来たのは何年か前で、僕がカンボジア に井戸と学校を作る「ジュロコロ基金」を始めた時だった。理由も告げられずに会おうと言われ、なんだか続きをみる

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2023/10/06くらいからのいろいらな書き溜め
2023/10/06 12:22アメブロ

10月6日ヒートテック、トレーナー、コート、という格好で出掛けている。寒いのは苦手だ。今が、秋なのだっけ?梨とか栗とかを食べたら秋という感じがするけれど、まだあんまり食べていない気がする。寒い空気には「冬め!」と言いたい気持ちもする。でも、本気の冬はもっと寒いよな、と思うから、まだ冬ではないんだろうと思う。冬を舐めないでおく。「気温の感じ」はよくわからないままだ。今日24℃だってさ!と言われても、それがどのくらいかわからない。みんなが半袖の場所でいつも自分だけ長袖を着ている。それでいて汗はよくかく。季節ってなんだろう。「ここ20年で一番の寒さ」みたいな言い方を毎年聞く気がする。気候がおかしくなってて地球がまずい、という話は子供の頃から深刻に受け止めているけれど、「エコ」も「SDGs」もどこまで信じていいの?と言う気はしてる。とりあえず、炭酸水をよく飲むのだけど、買うたびにペットボトルを捨てなくちゃいけないことがいつも後ろめたい。ソーダストリームっていう、家で炭酸水を作る機械を買うか?とずっと悩んでいるけど、実は口ばっかりで、クオリティオブライフを高めることにそこまで前のめりになる才能があんまりない。一周回って、最近は近所で井戸水を汲ませてくれるところから水をもらって飲んでる。こだわらなさすぎるが故、すごいこだわってる人みたいな結論になってしまった。アトリエの水道自体は、「建物が古すぎて水道管に金属が溶け込んでいるかもしらないから飲まない方が良いかもしれない」と年老いた建物オーナーに言われ、飲めないでいる。もしかしたら飲んでも大丈夫なのかも知れない。。。。先日俳優の君沢ユウキという友人と現場で会った。同い年なこともあって仲良しなんだが、冬に現場が同じになる、嬉しい。それはともかく、このユウキという男、身体がすごい。年中笑っていて、海外から輸入するサプリメントに詳しく、筋トレばかりしている男だ。なんでもパパがボディビルダーらしい。筋肉には才能があると聞いたことがある。生まれつき、筋肉量や性質に個性があるらしい。ユウキは、おそらくかっこいい筋肉の才能があるのかも知れない。触ってみたら明らかにすごかった。で、また別現場。いま、ヘンリー4世というシェイクスピア作品をやってる。そこに、串田十二夜という俳優がいる。ジュニ、と呼んでる。このジュニ、可愛らしい顔、いわゆる童顔なのだと思うんだけど、どうも体つきがおかしい。分厚いのだ恐る恐る、「がたいよくない?」ときいたら、「ボディビルダー目指していたことがあるんです」と。筋トレをしたくなるものだ。服にお金や時間をかけるより、自分の筋肉を育てる方がいいと聞いたことがある。一番のインナーマッスルなのだ、てことだろうとおもう。。。。稽古場通いの毎日が始まってる。「出勤型」の仕事が始まるとなかなか難しい。山のような宿題たち、そして、膨大なシェイクスピア台詞を覚えねばならぬ、そして相変わらずクラシックの地方公演が今月は5日もある。徹夜の苦しさは構わないけど体調を崩すわけにもいかない。先日、アデノウイルスの結膜炎という、「子供がよくかかる病気」と言うものにかかってしまった。つらいのになんか恥ずかしいというのは切ない。もう治続きをみる

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朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』
2023/10/02 12:11アメブロ

朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その配信が終わった。10月になったの!?というささやかな驚きもありながら、夏休みが終わった気持ちに今年もすこしだけ心がぐずってる。何年か後に読み返すこともあるだろうと、一応文章なんてものを書く事にした。 2021年に描いた物語だ。初演の時には絶対に絶対に、人生において長らく続ける大切な作品にするぞとカーテンコールで誓い、翌年に講談社から小説も出させて頂き、新たな俳優たちも迎えて再演もできた。そして3年目、あまりにも豪華な顔ぶれでの朗読劇。 なんて恵まれている物語だろう。この物語のおかげで喜びを噛み締める瞬間が何度も何度もあった。 どうしてそんなに大切な物語なのかということは、色々なところで語ってきた。もっと言うと、2021年の7月、8月の僕のこのブログを遡ってくれると、毎日のように創作日誌というか、魂のうめき声めいた文章が綴られている。今回、末原拓馬やおぼんろの存在自体が初めてと言う方ともたくさん出会えるのだなと思い、作品の経緯を説明したい気持ちもあるにはあって、当時のブログのリンクを投稿したりしようかと思ったけど、中には純粋に物語を楽しみにくくなる人もいるかもしれないと思って控えた。控えつつ、自分でも心の奥底に封印していることなので、いっちょ思い返してみるか、と当時の文章を読み返してみようとしたら、あっという間に涙が止まらなくなってやめた。 劇場配布のリーフレットにも描いてあるけれど、簡単にいうと、この物語は亡き父に捧げたもので、末期癌が見つかって亡くなるまでの1年間の闘病生活、そして別れを踏まえてリアルタイムで描いていった作品です。 病床の父を楽しませようと、「ベッドに寝ている老人のところに、海を盗んで持ってくる少年がいる」と語り始めたのでした。「○○みたいな、わけのわからない夢オチになるんじゃないのww」と父がふざけたのを覚えています。○○というのは、かつて末原家で大批判を食らったあるドラマのことで、とてつもなく謎の解けないサスペンスだと思って興奮していたら、最後、「本人の気が狂ってただけ」というオチで、父と姉が怒り叫んだ、というものです。「いやいや、それはないから!」と笑ったものでした。 父と僕は、2020年の夏、病気が発覚した時に、翌年の夏には車で海に行こうと約束をしました。その後、父の病状は悪化の一途を辿っていましたが、なんか、治っちゃいそうな想像もできていて、なんにせよ、僕は僕の物語執筆力があれば、海に行かなくても海への冒険はできるような気がしていたのです。海へは行けなくとも、せめて劇場で海を見せるぜ!と、まあ、その準備をすることが、僕が悪い想像力に負けてしまわないための精神安定剤的役割を果たしていたこともあります。 ところが、父が亡くなり、執筆作業はいったん大混乱をしました。届け先のないプレゼントを創作する時間は地獄です。しかし残酷にも稽古は開始します。いや、ほんとは稽古開始前に台本というのは完成してあるべきなんですが、ね。僕は仲間たちにさまざまな思いを語り続けました。嗚咽で喋れなくなったりしつつ、 「これから死にゆく老人」としていた殿清を、「先だたれてしまった者」、すなわち、自分自身や、家族、(大人になるにつれ、ほとんどのひとがなる立場)と再設定し直しました。 この物語は、父からみんなへのプレゼント。生きろよ、と、まあ、言うだろうなパパは、と思い、息子の僕が筆を取りました。 父はプロのミュージシャンでした。幼い頃から、家の中は音楽で溢れ、いつだって演奏や作曲、アレンジをする父の姿を見ていました。コンサート、ライブ、レコーディング現場に連れて行かれることも多く、自分が物を創る仕事を始めるようになったことに父の存在が無関係とは到底思えません。僕はなぜか演劇の方へと進み、物語を産み出して公演をするようになりました。そこから、父には僕の作品で使用する音楽、サウンドトラックを依頼するようになりました。最初は、アマチュア息子のとんでもない甘えでしたが、次第に、芝居が自分の仕事と言えるようになり、最近では堂々と「タッグを組んでる」と言えるようになっていました。リュズタンに関しても、父はサウンドトラックを創ってくれました。劇中で使われた音楽たちは、なんと父が医師から余命を告げられてから創った音楽たちです。「楽しい作品がいい」と父は続きをみる

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『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。
2023/08/15 10:06アメブロ

おぼんろ第23回本公演『月の鏡にうつる聲』公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧になり、千穐楽からしばらくSNSから姿を消してしまいました末原です。まとめの文章はいつも苦手で、語り尽くせるわけがない思いを、せめてほんの少しでも語らうと言うブログです。遅くなりましたが、公演へのご参加、心から感謝します。7月頭、稽古を開始したあの頃がとても懐かしいです。「9人の劇団をつくりたい」と話したのが顔合わせでした。劇団員、客演、という壁は全く必要ないと思っていました。「客演さんに迷惑をかけたらいけない」という不安なんかかなぐり捨てて、ふてぶてしいほど仲間扱いをさせてもらおうと思ったのです。劇団公演なのだから、劇団にしかできないような創り方をしたいと思いました。それは「効率の悪さ」です。物創りにおいて、最短距離を探さず、いちいち遠回りし、話し合い、悩み、試し、壊し、捨て、やり直す。そうやって、「初めて創るもの」を追い求める日々は幸福と興奮に満ちていました。1日1日の稽古が冒険めいた物語に満ちていました。素晴らしい座組でした。全員の感性が混ざり合い、この作品になったのです。スタッフ含めですが、誰か1人メンバーが違えばまた違う作品になってしまったろうと思います。その不安定な偶然さに神秘を感じます。けいごが信念と爆発力を与えてくれました。どう考えても変わり者だし、ロジカルスイッチとワイルドスイッチが予測不可能なタイミングで切り替わるのがヘンテコすぎて、だけど本人はいつでも真剣そのもので。初めて会った日からお互いのことを喋り続け、なにも包み隠さず感性をぶつけ合いました。とても尊敬していました。圧巻のラストシーン。あてがきと言うわけではないのだけれど、けいごがいたから完成したのです。ステージの上に存在することにかけてのプロフェッショナリズムは流石としかいいようがなく、どんな時でも、こちらが心配になる程に全力でパフォーマンスをする。体力が無尽蔵なのかと思っていたらそうでもなくて、ちゃんとバテているのに、それでも手を抜かない。セーブしない。その姿に、誰もが勇気をもらったようにも思います。りゅうのすけ。天性のひとなつっこさで座組に生命力を加えてくれました。いろいろなひとの橋渡しになっていた気がする。真剣で、素直で、物怖じしない。役どころは極めて難しかっただろうに、めげずに、焦らずに、それでも怠らずに千穐楽まで努力を続けてくれました。冷静さと、情熱なのか無鉄砲さなのかわからないめちゃくちゃさが同居してて、これからもっと見極めていきたい。声の良さ、見た目の素晴らしさは言わずもがなだけれど、その素質に見合わないほどに、懸命でがむしゃらでい続けられるりゅう。今後がさらに楽しみでもあります。ましゅう。一緒にやるのは2回目。今回は演技についてかなり細かく深い話もしました。自分の中で、今後長く付き合っていく相手だなと思えていたこともあったのだと思います。以前一緒にやったときから驚くほど実力が上がっているように思えて、目を見張りました。稽古期間中、演出意図をよく理解し、日に日に演技が熟していくことに座組一同刺激を受けたものでした。座組や作品への敬意、貢献しようという姿勢も素晴らしく、救われたものでした。頼りになった。本当に、それに尽きるのでした。たいらさん。早稲田大学演劇研究会という、人生で初めて芝居の手ほどきを受けた場所の、大先輩。カリスマ先輩として、伝説を聞いていた存在でした。常に天然ボケで不器用な素振りで、座組の緊張を解きながら、非常に精密に芝居創りをし、稽古期間の中でゴールに行き着くための地図もしっかり描いている、馬鹿のようなふりをしながら、脚本読解も素晴らしくできている。正直、まさかここまですごいのかと改めて驚いてしまったのでした。座組における立ち振る舞いも完璧で、なるほど、少年社中という劇団が有名になったことの要因として、たいらさんの存在はめちゃくちゃ大きかったのだと身をもって知りました。座長がひとり多いような安心感。まあ、とにかく、何より、芝居が素晴らしかった。あんな純度で板の上にいられること、なかなかない。こうちゃん。なんかいつの間にか人生におけ?運命共同体みたいに当たり前の存在になっていて、今回も、突然電話をして拉致監禁したような状態でした。最初は、「その時期は厳しいんだよ」と言われたのだけれど、厳しくてもいいから出てね、と言ったら、結果、こうちゃん、ほぼすべてのスケジュールをあけてくれた。今回は、殺陣師としても素晴らしい才能を発揮してくれた。実は殺陣をつけるところをみたのは初めてで、演劇的アプローチを用いて高速で物語的にアクションつけてくのすごかった。様々なこと相談したし、いろいろな場面で背中も押してくれた。役も素晴らしかった。自分の立ち続きをみる

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2023/07/01あたりの今更な日記
2023/07/01 21:40アメブロ

海外から帰ってきた。海外にいても思ったより日本の世界は自分の中に続いていたし、日本に戻ってきても想像以上に海外は自分の中に止まってる。どこにいても自分は自分、よくもわるくもよくも。バイキングにおいて食べきれない量の食べ物をお皿に乗せてはいけないのと同様と言うか、再会しきれないほどの友人を使っては行けないんじゃないかというようなことを心のどこかで思っていて、人生で好きな瞬間ランキングの相当上位に入るであろう「出会いの瞬間」なのだが、慎重にもなりかける。また会いたいと思える人がたくさんいるというのは長生きをする自分への言い訳になるしとてもいいのだろうけれど、心のどこかで、全員との再会は出来まいな、とわかってもいる。せめて心の中にこの人の存在を留めておこう、なんてことも思うけれど、それさえも、不可能とわかってる。忘れることは人間の脳のすごい機能なんだぞ、と誰かが言っていた。いちごいちえ、という言葉、なるほどさすがだ。出会って、わかれる。旅先ってそういうもんだ。そして、じんせいははくたいのかかくなり、って言うように、生きることすなわち旅みたいなものなんでしょう。ドイツのカラス。ちゃんと外国風だ。外人ならぬ外鳥。でも、カーカーという鳴き声は聞いてない気がする。鳴き声もドイツ語なのだと思う。自分の名前の2文字目に縦棒を一本入れられたせいで耳が伸びてニンジンを好きで目が赤くなりそうになったウナギ。チェコの、出版社とビール屋が合体したところ。編集長がビールを注いでくれる。そこの犬が底抜けにかわいかった。ここではレッドツェッペリンがそれなりの大音響で鳴り響いていて、よかった。モルドバでも、ドイツでも、チェコでも、60〜80年代のロックがそこかしこで流れていて、そのことに大きな感動をした。このことについては、ほんと、いつか長らく時間かけてちゃんと話したいのだけど、簡続きをみる

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2023/05/14からのいろいろ
2023/05/14 21:39アメブロ

5月29日今日から3週間日本を離れる。荷造りが壮絶に辛かった。猫は場所に安息を求める生き物だから、移動がストレスになりがちだと先日聞いたのだが、なるほど、自分が昔から旅を苦手とするのは、なんかそういう猫めいた性質が関係しているのかもしれない。猫っぽいなんて言われたことなくて犬っぽいと言われがちだけど。以下、書き溜めた文章などあるので、一回投稿しちゃおう、と思っての投稿です。。。。忙しい。仕事を重ねると普通に壊れがち。やることだらけなのだから思いついたそばから手をつけていけばいいだけなのに、何をやり始めても「こんなことやってる場合じゃない!」と焦る。落ち着け。優先順位の付け方が勝負を分けると言うじゃないか。なのにステラボールにも通ってる。一般的に、開幕したら演出家は劇場にこなくてもいいことになってるのだけれど、品川に通い続けてる。ただただ、少しでも作品を良くできるんじゃないかと思うと居ても立っても居られない。本番を見ながら大量のチェックをメモして、終演後楽屋へ行き俳優に伝える。もしくは、翌朝、PCでタイピングしたのをプリントアウトして、楽屋の机に置いとく。。。。まあ、稽古場でもひたすら稽古をした。別に稽古をしたことを自慢するのもおかしいけれど、しつこくしつこく演技の力を高めるべく闘った我々の結束は強い。演劇、物語、物語。芝居。物語は、劇場を出てからも人の心に残る。なんなら、生涯残り得る。そこが、いい。虚構で真実を伝えるのは簡単なことじゃない。だけど、それをやるために生命を注ぐのが、好き。母の日。今回の現場の産みの親であるプロデューサーのことを妙に好きで、思わず、カーネーションを送った。実は、今回初めて一緒に仕事をする。プロデューサーってなにをしてるの?って、普通の人は知らない。どこまで権限があって、どこから権限がなくて、でも、どれほどの責任を負って、どれほどの決断をして、どれほどのものを守ってるのか。もちろん、人それぞれ。我々ク続きをみる

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四角が三つに縦棒三つ、とか、そういうどうでもいい文章
2023/05/10 01:12アメブロ

舞台演出をすべく品川通いである。品川・・・あまり馴染みがない。 いや、「馴染みがない」、と冷たく言い放つよりは馴染みがあるんだと思う。仕事であったりちょっとした用事だったりで、生きてきてそれなりに何度も上陸している。それなのに、なんか、疎遠な気がするのはなんだろうか。ビルが多いからだろうか。訪れたことのある回数で言えば巣鴨とかの方が少ない気もするんだが、巣鴨の方が「こいつツレやねん」的な関係性を築いたような錯覚を持つ。 完全に、キャラの違いだと思う。そう考えると、品川が不憫に思えてきた。多分、あの圧倒的なシティ感というか、大人っぽさと言うか、ビルだらけ!な感じとかに、こちらが勝手に緊張しているのだと思う。よくよく考えてみれば、水族館あるし、新幹線乗れるし、水辺も近いし、人をもてなしたい心持ちはとても強い街だ。もしかして、品川は、みんなと仲良くしたいのかも知れない。巣鴨とかに、憧れているのかも知れない。刺抜き地蔵でいいのに、ついつい、品川の奴はコージャスに王子な感じを名乗る宿とか用意しちゃう。もしかして不器用なのかも知れない。 品川を愛したい。四角が三つに縦棒三つ。「品川」と言う文字も、なんだか可愛いじゃないか。反対から読めば「わがなし」だ。だからなんだ。 とにかく、品川と仲良くなるつもりだ。 ・・・・・・・・・・・・ 月が大きい。月が多いと動物の情緒は乱れると思っている。ましてや5月。五月病のパンデミックが危惧される季節だ。「なにか新しい環境が始まって1ヶ月目をこえたあたりから」というのが、どうもメンタルやられがちってことです。我々のような舞台人は、なんだかんだ新しい現場も1ヶ月で終わるし、長めの本番でも、終わりが見えやすい。そういう意味では、あんまり五月病にはなりにくいのかも知れないなあ。「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読むと知った時はみんなと驚いたよね?旧暦とは思うけど、5月ごろに現れたんだろうな、蝿。だがしかし、ノイジーなものの代名詞にされてしまうとは。すごいな。「拓馬い」と書いてなんと読まそう?なんて考えちゃうよね。いや、考えないわ。ここのところ鳩が気になる。春先っていつも鳩が気になるっけ?蟻とかは春先のイメージあるけど。そうい続きをみる

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2023/04/27
2023/04/27 09:47アメブロ

4月27日あたり稽古の日々だ。キャッテリアという、ネコたちの世界のホストクラブの物語だ。キャスト、スタッフともに知り合いがひとりもいないスタートだったけれど、あっという間にみんな仲間になった気がする。初めての現場だと「何を求められてるか」を気にして右往左往するところがあるので、プロデューサーに尋ねてみたら、やりたいことをやってくれることを求めています、と言われ、なんとなく、翼を得た思いで取り組んでる。。。。。髪を切りたい。先月だったろうか、髪を切りに行った。「半年ぶりだね」と言われた。妙に長いような気もしていたが、そんなにだったのか。我ながら無頓着だ。髪型が他人に与える情報量の多さくらいは知っている、第一印象というやつだ。いつも綺麗にしていると気分もいいと知りつつも、ついつい放置しすぎだ。病院とおんなじで、行くことの面倒さに負ける。予約というものが苦手なのもある。でも、一念発起、行った。美容院に通院だ。書いてて思ったけど、美容院は「通院」て言わないね。大学院にも「通院」て言わないし、衆議院にも通院て言わない。ま、いいさ、行ったんだ、美容院に。ようやく髪を切るのか!という高揚感もあったものの「どうしたい?」と聞かれて「任せる!」と答えてしまう。結果、「長さは変えずに、軽くしたよ!」という髪型になった。しまった。前髪が長いのだけは直してもらえばよかった、とおもいつつも、「たくまくんはこういう雰囲気あるのがいいんだよ」と言われると、そうな気もする。そう、ちょうどキャッテリアの稽古開始を控えてる時期だったこともあり、さほど歳上でもないのに大所帯を仕切らねばならないこと鑑みれば、長髪で雰囲気ある方が演出家らしくていいかも、確かに、と考えた。が、もう、耐えられない。前髪が邪魔すぎる。昨日は、髪を結ってチョンマゲ頭で稽古してしまった。切りに行くのか?暇あるのか?切っていいのか?かっこよくなる関係のことをウジウジと悩むのがなんともかっこわるい。。。。。春だ。自動販売機から、コーヒーのホットが消えた。つらい。移動中も何かしらの執筆めいた仕事をすることが多いのだけど、仕事のときには何かコーヒーめいたものがそばにないと落ち着かない。そして、コーヒーは、断然ホットがいいのだ。父はアイスコーヒーが好きなひとだった。父は父で、断固、そうだった。家で、父は音楽室、拓馬は自分の部屋でそれぞれ何かを創っている、という状況は割と日常だった。コーヒーを飲む習慣は父から受け継いだものだ。ときたま、父がアイスコーヒーをつくってくれた。これが、まあ、おいしい。冷やした方が味がわかるんだなあ、とか思ったこともある。なんだけど、それでも、作業のときはホットが好きだ。おそらく、小さい頃にホットココアにうっとりした名残りかもしれない。まあいい、話の脱線がすごいよ。自動販売機のコーヒーがみんな冷たくなる季節は、すこしさみしいな、と、そういう話。。。。。バレエダンサーと作品創りをしている。銀座にジュエリーショップを持っている元Kバレエのユウイチという男がいるのだけど、先日、共通の友人である高津さんと共に喋ってたのである。高価な宝石を眺めながらコンビニの一番安い500円くらいのワインを飲みながらという、経済的にちゃらんぽらんな状況下でのアート談義だった。で、そこでなんだかいろんな話が盛り上がり、「バレエと演劇混ぜたもの創ってみよう」と、軽はずみな見切り発車を成し遂げたのだ。1ヶ月前のことである。この新ジャンルの開発には時間がかからだろうけど、とりあえずは一回やってみようよ、ということになった結果、1ヶ月後にやることになった。はやすぎる。「落ち着いたらやろう、は、やらないよ、結局」という高津さんの悪魔のようなアドバイスもあった。で、キャッテリアの稽古とうまい感じにハシゴをしながら、白鳥の湖をやっている。全力を注げる何かを並行して行うのは実はとてもいい。感性が刺激され続ける。ちゃんと喧嘩をしてちゃんと仲直りをするひとがすき。なかな続きをみる

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2023/03/23から散らかし文
2023/03/24 03:21アメブロ

3月23日好きな人の誕生日だったのでざわつく。別にざわつくことでもないのだけど、あー、会う約束くらいしとけばよかったー、なんて思う。とは言え、働く。脚本作業が重なっているのだけれど、締切というものが年々苦手になる。一方で、無限にものを即興で創れてしまう自分もいる。だもんで、ついつい、ひょいひょいと仕事を受けてしまう。遊びを愛さない自分であり、日常の中で喜びや楽しみなんて特にないしいらない、という、趣味になりそうなものを軒並み仕事にしてしまった人間の憐れな末路が自分なのだが、誰かと「やりましょう!」と新しいことを始めたりする瞬間はひたすら楽しく、気付けば毎日ハリソンよろしく何かに追われてる。よる、3時30分。まだ仕事をしたい。しかし、明日は朝が早い。3月24日8時半くらいに、高田馬場を通る。ラッシュ。学生時代を思いだす。電車の中でお化粧をしている女性、見ていてヒヤヒヤする(マスカラ、揺れた拍子にまつ毛抜いてしまいそう、とか、アイライナー中に...とか、主に目まわり)のだけど、なんか、好き。自分の知り合い、もしかしたら、恋人?好きな人の前?仕事仲間?の前で美しくあるために、見ず知らずの前ではどうでもいいの、みたいな態度、愛せる。でも前に友人のプロのメイクさんが「車内なんかでやったら完璧な美しさにならないじゃない!あー!もう!ブスになる!腹が立つ!!」と目くじらたててたのも、それはそれで好き。目くじらと言う言葉も好き。目にいるくじらの背中から吹いた塩がまつ毛になったらしいよ。。。。。電車内で他人のスマホを覗き込むことはマナー違反と思う。身長が高いもので、どうしても、角度的に人の画面が見えてしまう。本人が隠したいかどうかはわからないけど、でも、隠してないからって見てはいけないものがこの世界にはたくさんある。なんだけど、見えてしまうこともある。インスタを見てるひと多い。なんか、人によってみているジャンルが全然違う。他人の脳内を見ているみたいな気持ちになる。好きなものが何かわかると、勝手に他人に愛着が湧いたりする。。。最近Twitterの続きをみる

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ごちゃごちゃ
2023/03/16 17:28アメブロ

3月16日世界が遠のいていく感じがすごい。そう思っていたのだが、最近じゃ世界が遠のいていく感じさえも遠のき出して、「感じが消えていく」を感じてる。人間は幼少期の味覚が一番鮮明で、だんだんコーヒーやビールを飲めるようになってしまうのは、感覚が鈍っていくおかげだ、と聞いたことがある。どうなんだろう、それ。別のものを味わえるようになった、という意味では、鈍麻したというよりは変化したのだと言い張ってみたい。母にノンタンを読んでもらい心の中に極彩色の荒波がぐるんぐるん暴れ回っていた幼きあの頃を懐かしくも思う。だが、今だからわかる感覚も大切にしたい。「最初はポールの曲が良いと思うけど、歳を重ねると、だんだん、ジョンの良さがわかるもんなんだよ」と父から言われたのはまだ小学生だったと思う。ビートルズの話だ。わかる、わかる。いまなら、わかる。かつてはわからなかったその言葉の意味がわかるようになったんだ。いいじゃんね。でも、一瞬だけ昔の感覚に戻れるスイッチみたいなものを持っていたら、どれだけ素敵だろう?なんてことも、思わなくもない。コブシのはなびらきざんだサラダならなにもかけずに夏の夢見るゆうべ、線路沿いにひと駅歩こうと思って歩いていたのに、気がついたら線路が消えていた。そんなことあるんだろうか。「敷かれたレールの上を行くなんて嫌だぜ!」というパンキッシュな脱線願望は一度も抱いたことないのに、気付けば知らないところを歩いてる人生な気がする。ゆうべ。あたりを見渡して駅探しあちこち必死で歩くも、線路はもう見つからず、仕方がないので歩き続けたら今度は全く違う線の駅についた。父のようにならないようにね(まっとうな人間になってね)、という母の教えはほんのりかすかに我が家にはあった。模範的な、褒められるような子になるのがよかろうと、素直な自分はちゃんとそのゲームを楽しめる才能もあったのだけど、とにかく、保護者会だとかが嫌だった。終わって帰ってきた母に、信じられないほど叱られるからだ。学校の先生や同級生の親御さんからうちの母親によからぬ連絡や呼び出しがあること非常に多く、悩み多き子供時代を過ごした。グレたいなんて微塵も続きをみる

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2023/02/25からのもろもろ
2023/02/25 11:34アメブロ

2月25日嘘だろ、というところだが、2ヶ月にわたる劇場通いも残すところあと2日、というところにして迷子、というかバスを間違えた。車窓から外を眺めていて、どうやら初めてみる景色だぞと気付いたときには背筋が凍った。それでも確信が持てない。初めて来た時に劇団員から「ここから乗るんだぞ」と言われたことに実直に従い続けてきただけで、バスの番号や行き先についてはまったく記憶していない。大急ぎでバスの電光掲示板をみるも、当然見知らぬ行き先が書かれている。劇団のグループLINEなるものに「行き先、これで合ってる?」と質問を投げかけると、さひがしさんが「ちがう!」と連絡をくれた。とりあえずバスから飛び降り、電話をする。地図が送られてくる。歩けないことはないから歩いた方がいいらしい。その後、騒ぎを聞いた照明の三枝さんから電話が来る。公演期間中に迷子になったのは2回目で、その時も30分以上電話をしながらナビゲートしてくれた。こうして、今日はいつもより少し早く劇場に辿り着きそうだぞ!とはしゃいでいた我が心はずぶ濡れにされた。ようやく、場所に慣れてきたと思っていたのに。油断大敵という言葉があるけれど、これか。油断。古代インドの言葉だったと思う。スーパーに行けば「ノンオイリー」なんて言葉が立ち並ぶこの令和ではあるけれどな、油も大事、ということだよ。なんて、ひとりごちてしまう。絶やしちゃいけないのだ。油。時たま、体が痛いときとか、気持ちが落ち込んで動きたくない心持ちに襲われた時なんかには、昔見たオズの魔法使いに出てきたブリキの木こりのニックチョッパーを思い出す。なんか、油をさすと体が動きやすくなるんだ、確か。そう考えてみると、自分にとっての油はなんだろうか。コーヒー?お菓子?音楽?散歩?......どんな時でも通用する処方箋は、いまだに見つかっていない。アブラマシマシのラーメンとか食べたらカッコ良さそうだし憧れるけど、たぶん、それでもない。。。。。劇団公演。朝は役に集まり、参加者のお出迎えからお見送りまで換算すると実にワンステージ3時間半、昼と夜の間は楽屋で一緒に食事をとり、また本番をやり、解散。とは言え、帰るのは真夜中だ。だんだん、1年に2ヶ月くらい家族、という気がしてきた。もはや、わざわざ喋ることすらしないくらいの中で、いて当たり前、いなくてもそんなに気にはならない、くらいの関係だ。「おはよー」と、なんのありがたみもなく出会い、「おやすみー」と、何を恐れることもなく別れる毎日。お互いにとってシームレスな存在になったものだ。かつては互いの存在に緊張し、認められよう、とか、はしゃぐ気持ちもあったはずだ。それは、もう、ない。なんなら、たぶん我々はこれからラブシーンめいた芝居はさすがに小っ恥ずかしくてできないのだろう予感もする。言うても10数年モノのヴィンテージな関係だ。いまから同じものを作ろうとすると、こちとら50歳になりかけちまう。そしてその頃にまだみんな健在なら、我々はさらに年季の入った間柄となる。悪くない。でも気をつけよう。ワインはうまく保存しないとお酢になってしまうと聞いた。嫌いじゃないけどね、酢。劇団バルサミコ。。。。楽屋には、ありがたいことに上等なお菓子がたくさん並ぶ。甘党の自分には幸福きわまりない環境だし、スタッフ、語り部一同、キャッキャしながら、見たこともないお菓子のおいしさを話題にしている。身の丈に合わないスイーツの差し入れの数々に感謝です。そんな中、照明の三枝さんはアルフォートを食べていた。否定はしない。美味しいよ、素晴らしいお菓子だし、あそこに描かれた船に乗って宝物を探しに行こうと言う気持ちにもなる、だけど、だけど、なんで?いつでも食べれるじゃん!アルフォートは!と問い詰めたら、三枝さん、「安心するから」と恥ずかしそうに笑ってた。。。。なぜか誰かの好意によりギターの試奏をさせてもらうことになって、いろいろ説明を受けるのだけど、さすがに父から聞いたことのあることで、後ろめたい気持ち抱きながらも初めて聞く無垢なフリをがんばっていたら、そこに父が来てしまい、ピックもないのに500円玉を用いて目の前で演奏して、ビートルズのルーシーインザスカイを歌っていた。父が歌うのは珍しいけど、元来、歌うのが好きな人でもある。と、思ってる。しかも、なんか、上手くなってない!?とみんなで言うと、嬉しそうにしていた。という夢をみた。なんだ?2月26日千穐楽が終わってしまった。呪納式という、締めくくりの会もやった。感謝しかない続きをみる

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いろいろ
2023/02/15 11:55アメブロ

2月14日アイシャドウを購入。化粧をするようになったのは舞台を始めてからに違いない。ピンク色のポーチを化粧入れとして使ってる。中には色々入っていて、入りすぎてるほど、色々、何が入ってるのかわからないほど色々、入ってるのだけれど、自分で買った記憶のあるものはほとんどない。おそらく、姉からもらった。姉に化粧を習った記憶もある。なんか、「タクの顔はこうだから、こう」みたいな講習を受けた。それから、さまざまなメイクさんと出会あ、その都度知識も得るけれど、いまだ、姉の教えが根強い。15年使い続けていた。おそらく、姉からもらったやつ、そのまま。で、やはり、さすがに危険だろうと当たり前のことに気付いた。肌の調子が崩れたのだ。そして、仕方ないから、買った。何を買えばいいのかわからなかったからマツモトキヨシの棚に並んでいたやつだ。急ぎだったのだ。他人の死って、点でしかなく。なんか最近、有名な人に関しては、誰が亡くなってて誰が生きているのかわからなくなってきてしまった。「あの人が死んだと言う噂を聞いたことある気もするし、勘違いな気もする」と言う感じだ。主に音楽を聴いてる時に思うのだ。「あれ、この人、死んだっけ?」と。分かろうがわからないが、流れてくる音楽はカッコよく、まー、どっちでもいいや、と思うのだ。。。。。大人の人がいつまでも、伝説だった!みたいに語ってくれる出来事があるでしょ?あれがすきなの。「信じられる?!おじさんが、若い頃、こんなもの観たんだよ!?」って、そこにいた自分が誇らしくて、語ってくれる。大雨の中で行われたグラウンドファンクのライブとか、そういうの。あーいうものになりたい。常々思う。流れ星的、打ち上げ花火的なことしてるのは理解してるけど、それでも、ただの1日じゃない、永遠の1日に憧れる。。。。。「倉庫での公演」で喜んでもらえて嬉しい。でも、「本来のおぼんろが戻ってきた!」と言う感じは実は個人的には、そんなに。20代前半、本当に創作意欲が自分の中で暴れ回る感覚があった。持て余した衝動と裏腹に、お金はなく計画性もなく、そして公演失敗の後遺症で借金だけあった。あれこれ計画を立てるより、どこでもいいから芝居をやろう、と、路上で芝居をやった。道を歩いてる時に作品構想を思いつき、その足で歩いて「来週公演したいから貸してください」とギャラリーに突入してオーナーを説得したこともある。(初めて会ったオーナーだけど、そこであれこれ議論したことはいまでも宝物)。ワクワクしていたのは事実だけど、「はやく綺麗な劇場でやりたい」と願って頑張ったのは事実だ。路上をはじめ、船、工場、お好み焼き屋、デパート、地方の寺やら屋外やらホールやらなんやら、そしていくつかの劇場。これまで覚えられないくらい色んな場所で物語を紡いだ。そのどの場所も特別で、完膚なきまでに自分らしい挑み方をしてきた。今回、原点回帰と銘打ってはいるものの、最新作であり、そして、すべての過去の集大成とも思う。これからもっともっと。いろいろな自分たちになると考えると胸躍る。2月16日新作を創る夢を見た。借金取りに追われて現場まで奴らが来るという状況だったのだけれど、これがまあ、本当に良い作品ができて、自分でも驚いた。見たことの無い舞台だった。そうか、まだこんなものを頭の中に思い浮かべられるんだな、と、夢から覚めて思った。すごいな。まだまだ、作品を創りたい。でも、予算かかりそうな公演だった。続きをみる

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さくっと
2023/02/14 11:08アメブロ

なんか、特定の一つのお菓子をテーマに物語を描いて上演してみたい気持ちがある。ボンタン飴、とか、チョコ柿ピー、とか、自分が愛してるやつ。で、徹底的に素敵な物語を創るのだけど、ちゃんと製造会社とも仲良しになって、いろんな取材もして、工場にも行って、ケータリングにお菓子も並べて、グッズコーナーにもお菓子をだしたい。。。。。グルナ・ラビ・ピョンキーキッチという、本編にはほとんど関与しないキャラクターを生み出したもので、大切に育てている。末原工房と名乗り、御守りを創は続けている。落ち込んだ時にあなたを守り笑わせるグルナであって欲しい。「おひとり様ひとつ限り」とは言ってるけど、ケチなことを言いたいのではなく、母曰く「ひとりが二つも持ってると、ピョンキーキッチたち的に護る責任が分散するから。」だそうだ。「あれ?お前が守ってると思ってた!」みたいな事故が怖いと言う意味だ。なるほど、たしかに。だもんで、誰かへの贈り物にしたい場合などは、どうぞ。衣装の靴が壊れた。いつものことだ。走り過ぎるらしい。この靴、もともとは普段履くように母から贈られたものなのだ。寂しい気持ちになりつつも、一番大切な場所を共にできたことは嬉しい。キャガプシーのときのウナサレの時も、実は片方だけこれを履いていた(廃材で作られた人形という設定だったので、右と左続きをみる

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